なごみだより

43.発達障がい者支援手帳の構想(2007年4月)

 既存の療育手帳は知的障がいを対象としているため、発達障がいの特性に対する配慮は全くありません。そのため、手帳が交付されずに福祉的な支援を受けられないで困っている方も数多く居ます。そこで、児童相談所などでは、どうにか手帳を交付するような配慮もしているのですが、やはり、それにも限界があるため、療育手帳を交付することができず、代わりに精神保健福祉の手帳を受けている方も少なくありません。既存の制度だけでは、こういった矛盾をはらんでいるために、全国的にも改善を望む要求は限りなく広がっています。
そういった中で、大分県発達障がい者支援センターでは、発達障がい者支援手帳について本格的に検討したいと考えています。これは、療育手帳とは全く別の交付物となり、受給者の希望により、医師の診断と発達障がい者支援センターの認定を受けることで交付されるものです。
では、その手帳を有することで、どのような支援を受けることができるのかというと、これは構想上のものですが、例えば、療育手帳の判定がB2の方はB1へ、療育手帳の交付が認められなかった方はB2へいったように、発達障がい支援手帳を有することで、判定を1ランク下げて療育手帳を交付します。また、自立支援法に伴う障害程度の区分判定においても、判定1の方は2へ、2の方は3になるようにと、実質判定の1ランク下げた見込み判定の結果を受けられるようになります。
この制度を導入することによって、これまでの制度を維持しながらも、新たに発達障がい者に対する支援の幅が広がっていくことが見込めます。つまり、発達障がいに対する認知や支援内容について、その障がいの特性に合わせた取り組みがなされていくことを期待できるということです。
また、この手帳制度によって、これまで発達障がいが明らかになっていなかった方々が受診や診断、相談などを受けられるきっかけとなったり、県においても発達障がい者の実態(診断名や診断の日時)をより正確に把握し、福祉政策に反映させていくことが可能となること等が見込まれます。各支援機関においても、その手帳を介することで本人の成育歴を知り得たり、他機関との連携もスムースに行えることが期待されるとともに、ご本人やご家族の方に対しても、進学や就労などの度に医師の診断書を受け取りに行くような煩わしさを軽減することも可能となります。
みなさんも色々な希望やアイデアをお持ちだと思います。今後、大分県発達障がい者支援センター連絡協議会や大分県発達障がい者支援体制推進会議においても検討していくことが予定されていますので、是非、ご意見をお聞かせください。
五十嵐猛

42.3年後の大分県(2007年3月)

 発達障がいの方々は、特性については共有する部分が多々ありますが、表れる症状については千差万別というほど、様々であります。つまり、1人のこどもに通用する関わり方が、必ずしも他のこどもに当てはまる訳ではないということです。ですから、誰にでも合う・合わないがあるように、彼等にも何か1つのアプローチに限定した考えを持つのではなく、広い視野を持って支援の方向性やプログラムを立てる必要があり、そのためには、様々な視点からの意見を集約させていくことが重要となってきます。また、これに合わせて長期的な視点を持ち合わせて助言をしたり、関係機関との調整を行う役割として「発達障がい者支援コーディネータ」が求められており、更に、もうひとつ、そのコーディネーターや支援員に対しても研修や相談を請け負う機関として、様々な事例や経験から情報を集約している専門機関、これが「発達障がい者支援センター」の役割となっていくであろうことを受け止めています。こうした支援体制の構築を目指して、発達障がい者支援センター連絡協議会をもとにして発達障がい者療育専門員養成研修を平成18年度4月から立ち上げ、4月から2年目を迎えることになりました。早速、第一期生である県内の各関係機関のスペシャリストが勢ぞろいし、ゼネラルな視点を実践に生かしてくださっています。また、この研修を機に、横のつながりも構築され始めており、初級・中級・上級と3年をかけて養成された後の大分県がとても期待されています。
五十嵐猛

41.子どもとの対話(2007年2月)

 キレる子が増えているように言われておりますが、これを、逆さに読んでみると、こどもの心を理解できる大人が減ったとも考えられます。つまり、こどもがキレるまでにはその原因や過程があるはずなのですが、それを大人が理解したり把握したりできていないと、突然に起こり始めたような印象を持つわけです。そして、「この子はキレやすいから」ということで片付けられ、その子の抱えている悩みや心の問題はそのまま置き去りにされてしまう。そうして、お互いが通じ合えないまま、大人はこどもの気持ちがわからず、こどもは大人に伝えることを諦めていって、ますます溝を深めていって信頼関係が育たなくなっているのではないでしょうか。子どもに話す機会をつくらないと、人に伝える力も育っていきません。「どうせわかってもらえない」とあきらめてしまい、それが抱えきれなくなってしまうと、やり場のない怒りや自傷行為へと爆発していってしまうわけです。感情表出が苦手な子どもでも、生活の場で何らかのサインを必ず発しているはずです。「唐突で訳がわからない」と困る前に、子どもの生活に目を向けてみませんか。
子どもと話しをする機会をつくろうとする時には、早速、何か聞きだそうとするのではなく、まず、自分の「最近」について話すことから始める方が良いかもしれません。
五十嵐猛

40.甘えからの学び(2006年9月)

 自閉症の子ども達は「甘え」を知らない状態で誕生します。私たちは、生まれながらにして母親に抱っこされる時の「心地よさ」を知っていますが、彼等は、限りなく0に近い時点からそれを学んでいかなければなりません。しかし、「療育」と称されている支援の大半は、子どもの「甘え」が十分に形成される前に「自立」に向けての訓練がスタートされがちであるように見受けられます。私には、このギャップこそが彼等の生き難さや、我々との距離間を生み出している原因に思われてならないのです。例えば、幼稚園の年長になってから、ようやく初めてママにしがみついて離れにくくなった児童に対して、年齢相応の自立心を促すような対応は適しているとは思いません。何故なら、母子の間で「甘えられる」関係がしっかりと形成されてからでないと、本人の自立に基づく伝達意欲が育たず、結果、コミュニケーション手段の獲得や情緒的な交流が行いにくいまま育ってしまうからです。ですから、そのような場合は、まず、「ようやく、お母さんに甘えることができるようになったのだな」という見方を持って、その行為を肯定していくことが大切であり、その行為を通しながら本人が人に対する「伝達手段」を学んでいけるように支援をすることが「療育」を施す側の重要な務めでもあると考えています(私達は、他者の示す反応を期待して「コミュニケーション手段」というものを獲得しているのですが、その過程は、自閉症の子どもでも同様に当てはまることを忘れないでください)。
「甘え」は他者との「信頼関係」を育み、それが、やがて「他人への思いやり」や「社会性」といった気持へと発展していくものです。そして、「甘え方」というものが「効率の良い要求の手段」にもつながっていくわけですから、まず、その「甘え方」というものを、本人が正しく学んでいく必要があるわけです。何故なら、この「甘え方」を上手に学べていない、或いはこの「甘え方」に挫折感を覚えてしまうと、彼等は「要求手段」ではなく、「回避」や「注意喚起」とった一般的ではない伝達方法を体得していったり、「わがまま」や、一方的な要求ばかりを相手に押し付けようとしてくるようになったりと、より、人との関係を築きにくい悩みを抱えてしまうからです。また、「甘え」を知らない子どもは、他人にも同じ厳しさを要求してしまいやすいようにも見受けられます。
彼等は感覚のズレや過敏さに対して、様々な個人差を抱えていますが、その苦手な物や状況から自分を回避させていくことができる本当の力とは、方法論はいろいろとありますが、そのベースには「甘え方」の知識と経験の積み重ねから習得していけるものだという認識を持つことが大切なのではないでしょうか。大分の深見さん神奈川の明石さんの息子さんは「人に好かれやすい個性を有しています」。発達障がいを有する方が安心して暮らせる地域生活の実現を目指すためには、今、我々は、何故、このような個性が育ってきたのかということを我々は学ぶ必要があるように思います。例えば、彼等が言葉や絵カードを使って要求表現する際にも、実は、その表し方の方が重要なのではないでしょうか。何故なら、その要求は必ず感情を有する人に向けられるわけですから・・・。支援者が歩み寄ってくるような「甘え上手」とは、生活能力や知識力に比例するものではありません。その人の個性の部分になってきます。その個性の部分として「上手な甘え方」を習得することが生きにくさを軽減していく秘訣であり、その人の人生を豊かにするスパイスでもあるようにも思われるのです。甘え上手になるためには・・・。人に喜ばれる子どもに育てる。自分が好意を持った人に喜ばれるためのスキル習得を目指した子育てや療育観が見直されていく必要性をひしひしと感じています。
五十嵐猛

39.善悪の彼岸(2006年4月)

 私たちは利便性を追求し、その結果に比例して、人とふれあう機会が減少させてきているのではないでしょうか。そして、それに伴い、人とのふれあう形も変容しつつあるようです。人との対立や議論を避けるために本当の和解も成立しないし、本当の気持ちに触れることもできない。自分が人前で正直な想いを伝えられないため、その想いはくすぶったまま不安だけが残る。「どうすればいい」そんな想いだけが自分の中でこだまする。自分の想いを表現する術を教えられていないから、人に救いを求めることもできない。いっその事、この世から自分を消してしまいたくなる。
 その一方で、こども達にとっては、議論の前に自分の意見を形成する機会を持ちにくい世の中に変化しつつあるようです。親がこどもや他人とふれあう機会が減少してきているため、子どもの感受性も育ちにくくなって、人の気持ちが読めなくなってきており、人の気持ちが読めないから、学習されたパターンに安心感や解決を委ねていってしまう。そのため、予め定められた見通しの中で生きることに安心感を得ようとし、自分の思いや予定と違うことがあると「キレル」。そして、幼い頃から、自分で歩く道を考えたことがないまま、自分のレールは大人が引いて当たりまえと思って育ってきているから、失敗すれば、正しくレールをそろえてくれない「大人が悪い」と責め立てる。
 自由に生きること、自分で決めて歩むことって、実は、一番、難しいことなのです。何故なら、自分で価値判断して決めたことには自分が責任を持たなければいけない訳ですから。今の子ども達にはそういった経験を得るチャンスが少な過ぎるのではないでしょうか。放課後のスケジュールだけでなく、学校の通学路も寄り道できないような大人の管理社会の中で過ごしているから、はみでてみることを知らない。時に、その道を外れる者は憧れの的、スター扱いを受けてもてはやされたり、その逆に、罪人として後ろ指をさされたりしています。しかし、これも紙一重でね、ちょっとした権力者の評価で一気にひっくり返ってしまう。それだけ、価値観を他者依存している人が増えてしまっているのでしょう。物事の本質を知らされないまま情報が溢れすぎてしまっている世の中だからこそ、その選択もできにくくなっている。人は自由の本質を知らないまま、自由を求めて不自由になってしまってる。利便性の本質を知らないまま、利便性を追求していったがために、自分の存在を失いかけてしまってる事もあるのです。今、我々にとって、一番大切なことは、物事の本質に目を向けて議論しながら自分の価値観をつくりあげていくことではないでしょうか。
 私達は、約1年半、SST課題の発達支援に取り組んできましたが、その中で、子ども達は、段々と自分の意見を主張し始め、最終的には、此方が予定したプログラムから外れて議論するに至りました。それを見て私は、実はSSTの最終課題とは、定められたことに対して、自分の意見を主張し合ってお互いに議論する形が自然に見えてこなければいけないのではないだろうかと思ったのです。そして、そこから、仲間と共通の価値観を生み出していく、これが逆にSSTの原点としてあるべきことなのではないかなって、そんな考えに至りました。これからも、子ども達の成長に見習い、私達も新たな課題に挑戦し、価値観を見出していきたいと思っています。
五十嵐猛

38.支援者としての心構え(2006年1月)

これは、私がずっとテーマにしてきている援助理念の1つです。少し噛み砕いた表現をしますと、「本人の社会的な気持を応援する」、つまり、「支援」とは、「強制」といった対立的な立場をとるのではなく、本人の気持を共感的に受け止めながら支える立場をとることが大切だと思っています。
「自我」とは、自分の欲求と他者(社会)の期待との間で調和を導いていくために行為選択する力であって、この力が育つことが社会性が身に付くことにもつながっていくものです。そして、この力を育てるためには、強制ではなく、支援者側の共感的な態度がとても重要な鍵となってくるように思われるのです。何故なら、強制によって身についた支配関係というものは、対人関係の中で逆転する可能性を必ず秘めているからです。
言葉かけ1つにおいても、この「支える立場」を踏まえることを重視し、「だめ」ではなく、本人に1%でも「がまんしよう」という気持があるならば、その「がまん」という言葉を投げかけ、その気持ちを膨らませるような支えを行うことが大事なのではないでしょうか。実際、「だめ」と言われると、反発して余計にやりたくなる様子が見られる場合でも、「がまん」という声かけに変えることだけで、本人から主体的にセーブしようといった姿がみられるようなことも多々あります。
本人の力に合わせた目標を設定しながら、この自我機能を働かさせ、本人に達成感を得させていく支援こそが、彼等の社会性を育てる本当の支援になるのではないでしょうか。
五十嵐猛

37.ソーシャルスキルトレーニング(2005年10月)

発達障がいのお子さんにとって、将来に向けて、一番必要なことは何でしょうか? いろいろと思い当たるものがありますが、最低で最大必要とされていることは、社会性であります。何故なら、その部分が成長できていないと、人との関係に歪が出て、地域で生活し難くなってしまうことが懸念されてくるからです。
そういった中、社会的スキル取得を目指したトレーニングとして、私たちは、SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)といった活動を行っています。これについては、今後、学校教育の中でも、必ず重要視されていくだろうと思っているところです。何故なら、発達障がいの子どもに限らず、健常の子どもの社会性も失われつつあるからです。「シートベルトは、警察に捕まるからするものだ」と答える児童が居ました。本当の意味は、「自分の身を守るため」のはずですが、どうやら、我々、大人が子ども達に正しい意味を伝えることができていないようです。これは、ほんの一例ですが、まだまだ子ども達が生活の中で本当の意味を理解出来ていないことはたくさんあるようですが、それを疑問に思っている大人や子どもも、まだ多くはないようです。こどもの「何故」を奪ってしまった原因は何処にあるのでしょうか? 
SSTとは、例えば、何故、挨拶をするのか、される側はどう思うのか、こういったことを省みて考えさせるようなプログラムです。現在のように、子どもが人との関係がどんどん希薄になっていく中、子ども達に正しい意味を伝える場や機会というものが、大人の責務として、とても重要になってくるのではないでしょうか。
五十嵐猛

36.専門家研修(2005年8月)

発達障がいの専門家を育てるための研修には、児童から成人まで通して関わって知っていただくことが不可欠であると思います。何故なら、専門家として自分の行う支援が、その対象者にとって、後にどのような影響を与えるのか、もしくは、対象者の行動に問題が認められる場合には、どのような経過を辿ってきたのか、ということを把握してもらう必要があるからです。そして、そういった研修をすすめる場として、生活全般にわたって関わるチャンスを有しているのが入所施設であるため、そこでのスーパービジョンのシステムを有効に活用するべきであると私は考えています。講演会などでの啓発活動も大事ではありますが、「百聞は一見にしかず」と言うように、むしろ、実際に会って、接してみた上で研修者本人が抱えた疑問点などを聞き出し、そこで専門的な知識を伝えながら理解を深めていただくことが、研修する者に一番伝わりやすい方法ではないでしょうか。車の免許をとる際に、実技のないプログラムなんて、考えられませんよね。ですから、そういった観点から、今、我々は、当法人の現場を利用した研修プログラムを準備しているところです。対象者も、施設職員だけでなく、保育士や教員にまで広げていき、ライフステージを通した支援感覚を養っていただくための研修を確立させていくことを支援センターにて計画しています。
五十嵐猛

35.発達障害の支援(2005年6月)

現在、療育手帳を持たなければ福祉的な支援はなかなか受けられません。つまり、発達障がいの人達の中で、高機能の方々については、その障がいに対する支援が保障されていないわけです。4月から発達障がい支援法が施行されましたが、その中でも当事者の権利として明確に保障されたものはありません。先日、自閉症協会の会長である石井哲夫先生が、講演会の中で「高機能を軽度といっていることが間違い、積み重ねられた社会の無理解によって重度にもなる」と言われていました。支援を必要としている彼らが知的な障害がないために福祉的な支援を受けられないといった既存の制度に、関係者の誰もが疑問を抱えており、支援者はその役割として、今、正に彼らの権利保障の獲得を目指した活動の輪を広げていくべきであると考えているはずです。こうした中、私たち支援センターの役割は、発達障がいを持つ彼らが、ライフステージを通して必要とする支援の内容を当事者の事例から具体的に表し、県や国、各関係機関に情報の提供を行くことだと考えているところです。充実した生活の実現に向けて、是非、みなさんのニーズをお聞かせください。
五十嵐猛

34.君が教えてくれたこと(2005年5月)

最近、「こどもの気持ちを理解して関わる」とか、「障害への理解を深める」など、「理解」という言葉をよく耳にするようになりました。確かに「理解」はとても大切なことであり、そのためにはお互いを「知る」ことから始めなければいけません。また、障がいのみならず、人間関係はお互いの「理解」がなければ成り立っていかないものです。しかし、その上で私はこのように考えています。『彼らを「理解」することによって、私たちは、自分の存在だけでなく、彼らが社会の中で「必要」な存在であるということに気付いていくのである』と。例えば、私が知っている限りでも、彼らとの関わりの中で先生が真の教育に目覚め、子どもの気持ちをよく考えくれるようになったり、学生や社会人が豊かな心を持ち、自分の人生を考え直すことができたりしていっているわけです。このように、周りや社会の人々が彼らの障がいを知り、理解していくことによって、彼らの存在意義に気付き、彼らに対して求める役割も広がっていくのではないでしょうか。このように、彼らが社会にとって「必要不可欠」な存在であると認識されていくこと、これこそが真の「共生共存」の姿なのであろうかと思います。
五十嵐猛

33.就労準備(2005年3月)

職業リハビリテーション研修会に参加しました。私が一番関心を持った内容は、一般企業からの障がい者雇用の報告です。その中でも特に驚いた内容は、国が掲げている雇用率は1.8%であるのに対して、マクドナルドでは実雇用率が年間3.4%もあるという報告を受けたことです。これは、1万人の従業員を抱えていれば、340人の障がい者が雇用されているということになります。しかし、当初からとんとん拍子に進んできた訳ではなく、雇用を始めた80年代には、障がい者の雇用を諦めようという意見も出たこともあるようでした。そういった中、アメリカ本社の雇用例を参考にすることで、次第に成功を収めることができ、今では、雇用されている障がい者の方々は会社の実戦力になっているとともに、その仕事に対する誠実な姿勢などの点で、高い評価を受けているようです。こういった障がい者雇用について複数の企業から報告を受けていく中、雇用の際に企業側が障がい者に求めることは殆ど共通してあるように思われまし。その内容を簡単に表すと「①本人にやる気があること②社会的なルールを持っていること③特別な技術ではなく、当たり前とされる事務的な道具を扱えること」の3点です。将来に向けて備えるためのポイントがハッキリしたように思います。一緒に工夫しながらお子さんの社会的なスキルの向上を目指していきましょう。
五十嵐猛

32.自分の道(2005年1月)

私たちは「自分の道は自分で考え、自分で決めながら歩む」という生き方を望み、その実現に向けて生きています。しかし、障がいを持つ人達は果たしてどうでしょうか? 彼らは生まれてから死ぬまでの権利は保障されていますが、生き方を選ぶ権利まではなかなか保障されていないようです。つまり彼らの「自分の道」は周りに決めれれており、その道を歩くことしか許されていないのが現実です。私にはこのことが彼らの秘めている多くの才能・可能性を潰している原因に思えてしかたありません。
 そんな中、2004年10月12日に厚生労働省から、これからの障がい保健福祉施策の改革についてグランドデザイン案が発表されました。これは、これまでの保護を中心とした仕組みから自立支援へと体制を変え、障がい者の自己実現と社会貢献が期待される内容、つまり、「障がい者が就労も含めて自分らしく自立して地域で暮らし、地域社会にも貢献できる仕組みを作ろう」というものであり、これによって初めて、障がい者が「自分の道」を自分で決められるスタートラインに立つことができたように思われます。
私はこれまでに障がいを持ちながらも素晴らしい才能を秘めている方に会う機会が度々ありました。しかし、彼らはその才能よりも先に障害ばかりがクローズアップされてしまい、自分の苦手な部分を更正するようなプログラムの中で生活することが多く、自分の才能を開花させるどころか、自信を無くしてしまっていたり、諦めて無気力に過ごしていたり、自己否定的な行動をとっていたりなど、なかなか本人の望むような環境の中で暮らすことが出来ていないようです。また、高い感性や純粋な気持ちが周りの人へ上手く伝わらずに誤解されたまま暮らしている人も少なくありません。彼らのこんな暮らしを改革するためにも、彼らの心を通訳して人に伝えることや、彼らが秘めている可能性を開花させるチャンス、そして「自分の道」を選択できる権利の場を構築していくような支援の輪を広げていきたいと考えています。今年もよろしくお願いします。
五十嵐猛

31.特別支援教育(2004年12月)

これは、従来の「障がい児をどうやって健常児に近づけるように教育していくか」といった捉え方ではなく、障がいをひとつの個性として捉え、「支援を必要としている子が年齢とともに成長、発達していくライフステージの中で、本人が主体性を持って暮らしていくために周りができる援助を追求していこう」といった教育姿勢の変換が込められています。つまり、教師主導型ではなく、子どもが主導権を有した支援のかたちが期待されていくわけです。そして、更に、これまで学校教育法に含まれていなかった子ども達の抱えている問題(不登校、不適応、健康障害児)にまで広範囲にわたって個々の発達援助の見直しを行っていくという、より充実した支援の内容も期待されています。
また、これにともない、特殊学級にかわって特別支援教室という新しい制度も始まる予定です。この制度は、これまで通常学級に在籍しながら対象とされていなかった軽度発達障がいの子ども達も対象に含まれ、個別的に必要に応じた特別な支援を受けることが予定されています。しかし、こういった新たな取り組みの中、障害児学級を廃止することの検討や、制度をすすめていくにあたって特別な人的・物的条件の整備を想定していないこと等から、実施していく困難性について関係者から不安の声もきかされています。
盲・聾・養護学校も学校種別を廃止して特別支援学校として一本建てにする予定がありますが、そういった形で本当に専門性が守られるのか、重度の障がいを持つ子どもへの支援が損なわれないか等といった不安も持たされます。
制度の変換に伴い、期待や不安は高まる一方ですが、今、我々が情報交換を行いながら、本当に教育界や地域に求めたい支援を再検討し、絶えず意見していく必要があるのではないでしょうか。 
五十嵐猛

30.仲間意識(2004年10月)

 「たのしい」という気持ちを共感しながら遊んだり、同じ目的に向って一緒に活動したりするなかで、仲間意識は育っていくものです。なごみ園に通うJくんとKくんは同じ幼稚園。無言のままでも意思疎通ができるようで、顔を見合わせてうなずいたりしています。友達がますます増えているFくんは、なごみ園のおかえりの時にみんなと離れるのがさみしくて、なかなか帰れなくなっています。時には、どんなに幼稚園から帰るのが遅くなっても、友達に会いたい一心でなごみ園に駆けつけてきてくれます。Eちゃんは、お友達がお休みしていると心配になって何度もお休みの理由を尋ねてきます。このように、なごみ園ではみんなの中に仲間意識が育ってきています。そんな中、残念なことに幼児グループのAちゃんが引っ越してしまいました。みんなAちゃんに会えなくなり、とてもさみしがっているのがひしひしと伝わってきます。   でも、みんな大丈夫だよ。これから幼稚園、学校に通うようになると、またたくさん友達ができるからね。Aちゃんにも、みんなのようなやさしい友達がたくさんできるといいね。そして、また、いつかみんなで会えるといいね。いつも独りぼっちでどこかへいってしまいそうだった子どもが、友達に仲間意識を持ち、自分の居場所が確認できるようになることで集団にとけ込めていく。こういった周りの人との関係性を築いていくことが、子どもの行動や気持ちに変化を与えていくのですね。学校や幼稚園に楽しく通えている子どもには、クラスメイトとの間に、このような仲間意識が育っているようです。なごみ園では、こんな仲間達と一緒に、虫取りや電車の旅、リバーパークなど、どんどん外にも遊びに出かけて楽しい思い出をつくっています。みなさんも一緒に子ども達の仲間意識を育てていきましょう。
五十嵐猛

29.コミュニケーション(2004年8月)

 私たちは自分の気持ちを人に伝えたいからこそ、コミュニケーションをとろうとするものです。しかし「なかなか自分の思いがうまく伝わらない」、「どうやって伝えたら良いのかわからない」など、障がいを持つ子どもたちは、このコミュニケーションに様々な悩みを抱えていると思います。また、彼らを支える家族にも、彼らの思いを知ったり、自分たちの思いを彼らに伝えたりするためには、どのようにコミュニケーションをとれば良いのか悩まれることがあると思います。この方法には、クレーンや指さし、筆談、絵カード、表情、言葉など様々なものがありますが、どの方法においても、やはり一番大切なことは相手の気持ちに触れて、お互いが通じ合う手応えを持つことではないでしょうか。例えば、言葉でのやりとりが苦手な子どもにとって、絵カードを使うことは状況や行動内容などが視覚を通して伝わるため、彼らが過ごしやすい環境を整えるためにとても有効です。しかし、人と人とのコミュニケーションはそれだけで終わるものではありません。必ず、気持ちや感情が伴ってくるものです。カードを使ったやりとりの中でも子どもの気持ちにふれたり、その絵からイメージをふくらませて遊んだり、楽しさや心地よさを子どもと分かち合うようなやりとりこそが次のコミュニケーション手段を獲得していく意欲につながっていくものとなるのでしょう。とくに幼児期は母子・父子間で情動的なコミュニケーションを発達させるチャンスでもあります。障がいを持つ・持たないに限らず、子どもは自分の気持ちを人に理解してもらえることで安心感をもち、様々な発達やコミュニケーション手段を獲得することができていくものです。なごみ園では、様々なコミュニケーション手段を用いながらも、子どもとの心のふれあい・心の育ちを大切にすることを心がけて療育活動を行っています。
五十嵐猛

28.兄妹の想い(2004年7月)

 お兄ちゃん(弟、妹、姉)に障がいがある兄妹児にとって、本人の障がいを理解し、受け入れていくことは親御さんが経験した時と同じような様々な葛藤や悩みがあると思います。「とても大切な兄妹」という思いにかわりはないのに、つい本心ではないことを言ってしまって本人も自分も傷つけてしまったり、本人を自分から遠ざけようとしてしまったり…。まわりの誤解や偏見に気持ちが左右されてしまうこともあるかもしれません。まわりの人に本人のことを理解してもらいたいと思っていながらも、なかなかうまく言えないし、知らない顔もしていられないし…。兄妹たちなりに小さな胸を痛めているものです。お母さん方も、同じような気持ちを抱いたことがありますよね?きっと彼らの気持ちに共感できる良き理解者になれると思います。そんなとき「いつも○○のことを気にかけてくれて、ありがとう」と声をかけてあげてください。彼らが「親に自分の気持ちを理解してもらえている」と思えることは大きな支えになります。やがては必ず本人の立場に立って支えてくれる良き援助者になってくれるのですから…。なごみ園では、兄妹も周りのしがらみから離れて、素直に自分の思いを表現できるかもしれませんね。そんな悩みを感じたときには、一緒に連れてきてあげてください。
五十嵐猛

27.はじめの一歩(2004年6月)

 親としては、子どもに色々なことをできるようになって欲しいと思うものですよね。けれども、どんなに教え込んでみたところで、子ども自身に「こうしたい!」とか「○○ができるようになりたい!」という気持ちが育っていかないことには、なかなか身にも付いていかないものです。
 学校での外遊び、いつも楽しみにしているYちゃんは自分独りで上級生に「かわって!」と言えました。Yくんは、自分の名前が書けるようになりたくて嫌いななぞり書きの練習をガンバリ始めました。大好きなお母さんを呼びたくて「ママー」と言えるようになったMちゃん。お母さんに伝えたいことがたくさんあるMくんは、手紙まで書けるようになりました。もう一回のサインが上手になったブランコの大好きなJくん。みんな「○○をしたい」といった、自分にとって深くて意味のある言葉や行為だから、一生懸命になれるのでしょうね。自分の思いや行動を人に伝えたい、分かってほしいという気持ちを育てていくことが子どもの可能性を伸していく、はじめの一歩かもしれません。なごみ園では、子どもの達のこんな気持ちを見つけ出しながら、人に伝える機会を絶やさずつくり続けていきたいと思います。
五十嵐猛

26.ティーム(2004年5月)

 地域連携という言葉は浸透され、関係機関による情報ラインは整いつつあります。そういった最中、この先ますます求められるだろうことは、各機関が支援ティームの一員として連携を取っていくことでしょう。これは、単に関係機関が役割として横のつながりを取りあうだけではなく、「お互いが子どもの育ちに対する価値観や方向性を共有しながら自分の役割を確認して支援する」という考えを持つことです。例えば、利用者にとって居心地が良い施設と、そうでない施設との違いは、専門性もさることながら、ずばり、このティームとして療育や支援の価値観や方向性を職員同士が共通理解として持てているかどうかにかかってくるものです。どんなに設備や専門性の高いスタッフが整った所でも、このティームとしての連携がないことには、なかなか良い療育や支援は行えません。各々の価値観ばかりが先行した支援体制の中では、利用者の混乱を招くことにもつながります。これは一般の企業や会社でも同じことでしょう。巨人がなかなか優勝できない理由もここにあるのかもしれません。将来、子どもが地域でどんな暮らしをして欲しいか? お互い意見を出し合いながら、今、我々がするべきことやその方向性を確認しながら一緒に子育てを深めていきましょう。
五十嵐猛

25.ライフサポートブック(2004年4月)

 着々とライフサポートブックの完成が報告されています。これは、いわゆる本人がサービスや援助を受ける際に必要な情報や配慮して欲しい点、期待していることなどの情報が書かれた、個別援助マニュアルのようなものです。学校の先生が引き継ぎのために主体的に書き込んでくださったり、幼稚園から学校への橋渡しに活用するために親御さんと先生が一緒に書き込んで完成されたブックもありました。このブックを活用することで、学校や他機関との連携、ティーム援助、ティームセラピーがより円滑に進むことが期待されます。更に、関係者が意見交換をしながら内容を深めていくことが本人の成長にも必ずつながっていくことでしょう。是非、多くの方にご活用いただき、ご意見をいただきたいと思っていますので、ご協力くださるようお願い致します。
※このライフサポートブックの内容について興味のある方は、雛型を用意してありますので、当ライフサポートセンターまでご連絡ください。
五十嵐猛

24.関係修復のヒント(2004年3月)

「この子に良かれ」と思ってしたことが、気持ちのすれ違いで逆効果になってしまうことがありますよね。いつの間にか、本来の意図から外れて対立的になり、関係修復が困難になってしまう。これは社会生活の中でもよくあることです。こんな時、どうすれば良いのでしょうか? やはり、誤解を生んだことに対してあやまるなど、相手に誠意を伝えることが一番ですよね。その上で「こういうつもりだったんだよ」と自分の思いを伝えることで、そこから、お互いに相手を思いやる気持ちが持てるようになり、関係が修復していけるようです。しかし、この相手を思いやる気持ちを持てないと、形の上では修復したようでも、関係を保つ糸は途切れたままになってしまうものです。それならば、こちらから先に相手の立場に立って此方から思いやる言葉をかけるように試みてはどうでしょうか? そうすれば、相手にもこちらの気持ちを受けとめようという姿勢をつくってもらえるように思われます。自分を理解してもらうためには、まず相手を理解して歩み寄ることが大切なようですね。
五十嵐猛

23.リセット行為(2004年2月)

 リセット行為は、気分をかえたり、疲れを癒して次の活力へとつなげていったりと、我々が社会生活を営んでいく上で無くてはならない非常に大切なものです。認められ、保障され、守られなければならない行為だと思います。私のリセット行為は家に帰って、一風呂浴びてから晩酌することです。さて、貴方のリセット行為は何でしょう? すぐに思い当たりますか? 子どものリセット行為は何でしょう? それは社会的に認められる行為ですか? 保障されていますか? それとも変更や誘導、援助が必要でしょうか? 今度、なごみ園に来たときに一緒にじっくりと考えてみましょう。
五十嵐猛

22.家でもできる職業訓練(2004年1月)

 職業訓練の基本は自立した生活を送れることのように思います。何故なら、作業所や授産施設の他に自分の才能を活かして専門的な分野で自立して働いている方もいますが、地域に出ている知的障害者の大半は、クリーニング店や食堂の洗い場、掃除、片づけ、工場の軽作業などをして働いている人がほとんどだからです。これには専門的な知識・経験よりも、一般的な常識や人付き合い、生活能力などが問われるものです。よく考えてみてください。これらの仕事は洗濯をしてたたんだり、食器を洗って片づけたり、庭を掃除したり、草をむしったり、風呂を洗ったり、家でも練習できることばかりですよね。おやつ1つを配る時にも、何か手伝わせたり、その後始末を求めるようにしてみてください。そういった日々の積み重ねが必ず子どもの将来に生きてくるものです。
五十嵐猛

21.共感(2003年11月)

 『共感する』とはどういうことなのでしょうか。私たちは同じ物を見て一緒に泣いたり、抱き合って喜んだりするだけでなく、「人をたたいたら、その人は痛いだろうな」と相手の気持ちを考えることができます。それには、もちろん「自分もたたかれると痛くて嫌だな」という思いがベースとしてありますよね。このように、相手の気持ちを考え、それを自分の思いとつなぎあわせて実感することから、人に対する思いやりや気遣いというものが生まれてくるのでしょう。実は、私たちは色々な人とのふれあいの中で、知らず知らずのうちに人との共感体験をたくさん積んでモラルを獲得してきているようです。逆に人から価値観をおしつけられても、自分と相手とが共感した中で学んだものでなければ、それは強制となり、人への思いやりは育たず、むしろ、反感や恨みの感情がおこってしまうことでしょう。人を思いやる気持ちを育てていくには、まず、人に共感できる心を育てないと始まりません。しかし、障がいを持つ子どもは、健常の子に比べて、人と気持ちを共感できる機会は限られやすいものです。ですから、尚更に人と一緒に共感できるような機会をたくさんつくってあげましょう。なごみ園では、一般のボランティアや学生にも来ていただいて、子ども達と一緒に共感する経験を通しながら、共に人の気持ちに目を向けられる人間に育っていってもらうことを期待しています。
五十嵐猛

20.自分の居場所(2003年10月)

 「自分の居場所」とは、どんな場所なのでしょうか?自分の思いや行動を受けとめて理解してもらえたら、私たちはとても心地よく感じられますよね。自分を認めてもらえているという安心感を得られることが「自分の存在」を確認できることなのではないでしょうか。ですから、自分らしく居られる、そんな場所が「自分の居場所」のように思います。しかし、大人も子どもも自分の居場所を確保するというのはなかなか難しいことです。特に子どもを取り巻く環境は、学校にあがる、先生がかわる、仲間がかわる、など、とてもめまぐるしく変化していきます。そういった中で自分の居場所をつくりあげたり、見つけ出したりしていくのですから、これは大変なことですよね。変化や集団が苦手な子が混乱してしまうのは当たりまえのことのように思われます。その中で一番、変わらない場所は家庭です。その家庭の中で自分の居場所があることはとても重要なことですが、それだけにとどまっていては、自分の存在が希薄になってしまうものですよね。家庭ではない、外の社会で自分が自分らしく居られる場所。安心して居られる場所を持てるということは大切なことであり、幸福な生活をおくっていくための秘訣であるように思われます。なごみ園ではお子さんが大きくなってからでも、半月や1年に1度だけでも、仲間と一緒に楽しめる場所、安心できる場所として、皆さんを迎えていこうと考えています。是非、みなさんの居場所を確認しに来てくださいね。
2005/01/29

19.赤ちゃんがえり(2003年9月)

 次の子が生まれると、よく赤ちゃんがえりをすると言いますよね。例えば、弟や妹のように喃語で要求を表したり、お漏らしをしてみたりする。これって、実は自分と周りの様子を見比べながら自己主張をしている、つまり、お母さんの気を自分の方に向けようとか、関わりをつくろうとしている行為の表れなのですよね。「折角、オムツがとれたのに…。」とか、「このまま自立できなくなったらどうしよう…。」と不安にもなりますけれど、欲求が満たされれば元に戻りますので、安心してください。むしろ、「もう、お兄ちゃんなんだから」と上下関係で片づけられたり、気持ちを受け止めてもらえないと、愛着欲求が満たされないためにその行為が治まりにくかったり、エスカレートしていく可能性も考えられます。甘えを許して欲求を満たすとか、現実的に無理である時には、他の行為に転換して補うような工夫をしてあげましょう。また、逆に弟や妹がお母さんと接している様子に無頓着である子どもは「人に関わる意欲がないのではないだろうか?」「このままコミュニケーション手段を獲得しないまま育ってしまうのではないだろうか?」と心配されますよね。なごみ園ではお母さんの代わりを全てすることはできませんが、そんな子どもの気持ちや状況も含めて愛情を持って受け止め、甘えをゆるしたり、一緒に遊んだりして子どもの心の育ちを考えています。
五十嵐猛

18.甘え(2003年8月)

 貴方の子どもは素直に人に甘えることができていますか?甘えを出せる場所を持てていますか? 貴方は甘えを受けとめられますか?貴方自身、甘える場を持てていますか?人に甘え・甘えられるということは、恥ずかしいと思うことではなく、人が生きていくためには自然なことのようです。
 人に甘える・甘えられるということは、自分の存在を人との間で確認できる行為の1つではないでしょうか。子どもが親から離れていく過程は、親への安心感とともに、他者への甘えがゆるされていく過程と同時進行で起こっていくように思われます。つまり、人は単に親から離れて自立して生きているのではなく、甘えの対象を親から他者へ移していくことで、上手に親離れができていくように思われるのです。そこで、自分の甘えを受け止めてもらって育った人は、人の甘えを受け止めることもできていくでしょう。最近の若い人が晩婚にある傾向は、単に世間で言う「若者が自由でいたい」という理由からだけでなく、自分が本当に甘えることができない。あるいは、甘える対象が見つからない、他人の甘えを受け入れにくいことを引きずっているのかもしれません。この甘えとは、人と人を結ぶ永遠のテーマになるかのようですね。
五十嵐猛

17.脳を育てる(2003年7月)

 最近、「読み書き計算」といった基礎的な学習が脳の発達を促すことが注目されている反面、「ゲーム脳」といったテレビゲームの影響によって脳の発達が偏る危険性も言われています。特に脳の前頭前野は思考・行動の抑制・コミュニケーション・意志決定・情動の制御・記憶のコントロールといった社会生活においても大切になる部分ばかりを司っており、脳を育てることは心を育てることにもつながるようです。だからといって、子どもに教材だけ与えていれば良いという訳でもないようです。何故なら、子どもも教材と向かい合っているだけでは、やり甲斐を持てずに続かなくなってしまうからです。やはり、教材を介して人といかにコミュニケーションをしていくかがポイントになっているようです。つまり、我々が子どもの目線に降りて教材を介しながら一緒に学んだり、教えたりすることが大切なのですね。独りでゲームをしたり、ビデオを見て過ごしていることが多くありませんか?なごみ園にも遊びに来て下さいね。遊びながら学べる教材も用意して、たくさんのお友達と一緒に待っています。
五十嵐猛

16.コペルニクス的関係療法(2003年6月)

 コペルニクスと言えば、天動説を地動説に覆した信念の人で知られています。この「コペルニクス的関係論」とは、その逆説的な意味合いを療育に置き換えて考える関係療法で「援助者の一方的な思い込みで関わるのではなく、相手の立場に立って考えながら、自分の接し方を変えてみましょう」という理論です。つまり、一方的に相手に変化を求めるのではなく、自分の見方や接し方を変えることを軸にしながら相手の変化を期待していくという考え方です。そのためには、「何で嫌がるのかな?」「何で出来ないのかな?」と、まず、子どもの目線に立って知り・理解することから始めることです。しかし、なかなか思いあたらないことも多々ありますよね。そんな時には、周りの援助者と一緒に意見交換しながら接し方を工夫してみましょう。なごみ園でも、子どもの行動に対する見方や、此方からのアプローチ方法を変えることで、子どもの変化や成長をお母さんと一緒に日々確認することができています。
五十嵐猛

15.自分育ち(2003年5月)

 「育てたように、子は育つ」これは相田みつお氏の詩です。もうすぐ3才になる息子は、最近、私と全く同じことをしたり、言ったりしていることが多々あります。その様子が、愛らしくて嬉しくなる時と、切なくなって自己反省させられる時があります。親となり、子どもを育てていくことは「もう一度、自分を見つめ直す機会」なのかもしれません。子どもに育って欲しいと思う人間像に、むしろ自分が近づいていかなければならない「自分育ち」をひしひしと感じています。しかし、「子どもを育てる」大人は親だけではありませんよね。子どもはいろいろな大人を手本にしながら育っていくものです。あなたの周りの子どもは友達を大事にできているでしょうか?社会性を持てているでしょうか?この先、自立した暮らしが行えるでしょうか?これは、そっくりそのまま自問自答できる質問でもありますよね。我々大人が良い手本となるように、子どもとともに、自分を育てていきましょう。
五十嵐猛

14.工夫する楽しみ(2003年4月)

 出来ないことから逃げてばかりいては、勿論出来るようにはならないし、なかなか自信も育っていきません。むしろ、習得することは逃げる方法ばかりになってしまうでしょう。苦手なことでも、「やろう」「やってみよう」という気持ちを育てることはとても大切なことです。しかし、そのような気持ちがある時にうまく向き合えなくてタイミングを失ったり、つい無理なことまで求め過ぎたり、逆に「無理させたら悪いな」とあきらめてしまったりしてしまいますよね。親御さんや各関係者と情報交換しながら、心理的な分析をかけ、タイミングや求める内容を見極めたり、馴染みやすいように教材を分かりやすく工夫したり、本人に見通しを与えながら励ましたりすることが我々の役割だと考えています。「させ過ぎ・求めすぎ」が不登校・不適応などの問題を生み出していますが、逆に「させなさ過ぎ」も同じように不登校・不適応などの問題があらわれています。どこまで求めて良いのか、或いは、どうのように接すれば興味や感心を示してくれるのか見極めるのは至難の業ですが、まず、こどもの気持ちの流れを追ってみて、その上で、一緒にアイデアを絞り出してみましょう。提示内容にちょっと工夫するだけでも、出来るようにもなるものです。それが解ると、子育てはより楽しくなりますよ。
五十嵐猛

13.夢への第1歩(2003年3月)

 なごみ園では、幼稚園や小学校の間だけでなく、中学・高校・大学・社会人へとライフステージに合わせて皆様にご利用頂いただきたいという理想を持っています。その第1歩として、めぶき園の佐藤くんが成人の利用者と一緒になごみ園で漬け物づくりを始めました。夢を実現していくためには、皆様との連携とご協力が必要です。どうぞ、よろしくお願い致します。
五十嵐猛

12.感謝の気持ち(2003年2月)

 上手に子育てをされてきている親御さんの対外的な関係づくりの秘訣は「人に感謝の気持ちを伝えることを大事にする」ということのようです。例えば、相手に感謝を表すことで、相手は「協力したい」との意を表すでしょう。この「協力したい」という気持ちが、互いに協力し合うという関係を育てていくのだろうと思います。あながち、子育てをしていく中では、様々な不安や悩み、要求が自分の気持ちを占めてしまい、一方的になってしまうこともあるでしょう。そんな時、自分の思いをうけとめてもらえたことに感謝の気持ちを表すことで、お互いにとても良い関係をつくれていけるようです。しかし、様々な思いを抱えながらも、その想いさえも、なかなか相手に伝えられないとか、言いたいけど、言って良いものか考えすぎてしまったり、なかなか言い出せなかったりして、互いに良い関係を作りにくい場合もあるでしょう。このようにお互いが直接に話しにくいような悩みがある時にも我々に是非ご相談ください。幼児から成人までの生活指導経験を生かしたアドバイザーとしては勿論のこと、関係調整的なパイプ役としても支援を行っています。親御さんのみならず、学校や幼稚園の先生方も是非、なごみ園を上手に利用されてください。
五十嵐猛

11.自分を映す鏡(2003年1月)

 今、自分がこどもに向けている関わり方は、こどもが大きくなった時に、必ず自分にも向けられます。なぜなら、こどもは、親からの関わり方を一番の手本にして育つからです。その内容が良かれ悪しかれ、親が自分に接するように、人にも接していくのです。もし、その接し方に対して自分で疑問を持ち、自分で新しい接し方を創造していくためには、いろいろな人との関わりの中で新たなモデルを見出していかなければならないでしょう。いや、新たなモデルを知ってからでないと疑問を持つようなこともなく、そのまま受け継ぐだけかもしれません。つまり、人の価値観や気持ちを一方的に押しつけられて育った子は、人との力関係が逆転した時(特に思春期)に、相手に対して一方的に気持ちを押しつけます。それが、暴力として表れることも少なくありません。何故なら、強制されて育った子は、大抵、暴力的な行為を受けながら育ってきているからです。逆に、自分の気持ちを人に認めてもらうことを意識して育った子は、人の気持ちを考えて行動するような「思いやり」の気持ちが育っているため、思春期のような難しい時期でも人と自分との関係を乗り越えていくことができるのです。障害が重ければ、重い子どもほど、どうしても人と関係をつくる機会が限られてしまいやすいために自分の身近な人の影響が強く出やすくなりがちです。こどもに育って欲しいモデルを意識しながら自分がかかわるとともに、モデルとなる仲間や協力者を増やすことを心がけながら、今年も一緒にこどもの心を育てましょう。
五十嵐猛

10.共に育てる輪(2002年12月)

 先月、歯茎が腫れてしまい、あわてて歯医者に行きました。ギリギリ、歯を抜かずに治療をしていただけている最中なのですが、治療にとても時間がかっています。歯医者さんは、私の前では決して言いませんが、「もっと、早く来ていれば、こんなに大変にならずに済んだのに・・・」と思われているだろうと思います。私も反省しました。これを機会に、他の虫歯も全部治療してもらおうと思います。「どうにかなる」と後回しにしていると、「どうにかなる」のではなく、必ず、「どうにかしなければいけなくなる」時が来ます。遅ければ、遅いほど、問題は複雑になっていって、色々なことを犠牲にしたり、辛い思いをしたりしなければならなくなってしまいます。歯茎が腫れた時に私が一番初めにとった行動は、知人に良い歯科医院を訪ねたことです。このような時は、経験した人の情報が何よりも一番頼りになりました。専門家ばかりでなく、苦労しながらお子さんを育てられて来た親御さんにも、是非、話しを聞いてみてください。子育てに対する価値観や、子どもの将来の行き場、各施設の評判について等、専門家よりも正直に話してくれるはずです。
五十嵐猛

9.摂食障害(2002年11月)

 食べにくい物を無理に食べさせてしまったり、作法について口を出し過ぎたりしてしまうと、自分の食べようとする気持ちよりも、その行為に対する周りの評価の方がクローズアップされてしまい、本人が食べる行為に対して罪悪感をつのらせていってしまいます。そうなると、食事の状況を見ることだけでも耐えきれなくなって逃げ出してしまったり、あるいは、食べたくて食べるのだけれど、食べる行為に対して拒否的な反応がでてしまって食事→嘔吐を繰り返したりしてしまうこともあります。また、過食には愛情不足の代償として食べ過ぎたり、嫌な想いを吐き出すために食べたりと、食事場面以外の複雑な心理的要因を抱えている例も少なくありません。大事なことは、信頼のおける人のもとで、日々安心して食事に向かえることです。反対に気をつけなくてはいけないことは、食する行為に対して、否定的な意識を持ってしまうことです。一般の成人女性で拒食や過食で悩んでいる方の大半は、自分の容姿などに対してのコンプレックスから食事に対する罪悪感やネガティブな感情を持ってしまっていることが多いようです。
なごみ園のお友達の中には、みんなと一緒に調理することで、今まで食べなかった物を食べたりする人もいました。こどもに求めるばかりではなく、料理の仕方を変えてみたり、つくる過程を見せる、あるいは一緒につくってみたりするなど、私たちの方から工夫するように心がけましょう。
五十嵐猛

8.つくるこころ(2002年10月)

 なごみ園では、いろいろな制作活動を行っています。この中で、我々は単に道具を使うことが上手になることだけを願っているわけではありません。何よりも「つくる」という建設的なこころを育てていくことをねらいとしています。ですから、初めは見るだけでも良いのです。むしろ、大人や周りの仲間が何かをつくろうと一所懸命打ち込んでいる姿(建設的な意欲や姿勢)を子どもに見せることは、とても良い影響を与えることでもあるのです。その中で、自分も「やりたい」「つくりたい」という気持ちが芽生えれば、子どもは、人の見よう見まねで道具を使おうと努力し始めます。このときに、適切な道具や扱い方を教えることが大事になってくるのです。
「つくるこころ」が育てば、物を大事にしようとする気持ちも育ちます。
「つくるこころ」が育てば、苦手な事を克服しようという気持ちも育ちます。
逆に、否定的な「できないこころ」を持ち続けていると、物を大事にしようとか、苦手意識を克服しようという気持ちは生まれてきません。
みなさん、こどもに自分の「つくる姿」を見せながら、一緒に「つくるこころ」を育てましょう。
五十嵐猛

7.ことばかけについて(2002年9月)

 私たちの方から、子どもと会話をすることを諦めないでください。話し言葉がなかなか増えない子どもでも、こちらから話しかけていくことで、聞き言葉は必ず増えていきます。
 言葉の出にくい子どもでも、内面の世界はどんどん広がっていくことが出来るのです。むしろ、逆に自分で言葉に出来ないモヤモヤした気持ちをたくさん抱えてしまうため、人や物を叩いたり、泣き叫んだりすることで自分の気持ちを訴えたり、鎮めようとしたりしてしまう行動が表れてくるのです。私たちから見て、分かりにくい場合にでも、まず、本人の気持ちを代わりに話して、受け止めていくことから始めてください。その上で、行動がエスカレートしないように体を押さえたり、「ここで待っているよ」と側で見守りながら自己調整を待ってあげたりすることも必要となってきます。その子の訴えを無視して気を逸らしたり、気持ちをごまかしたりすることがうまくいく場合もありますが、それは、大抵、その場限りのもので、人に受け止められていく経験を積み重ねていかなければ、行き詰まった気持ちを解消しようとする行動はますますエスカレートしていってしまうのです。
子どもの気持ちを、一生ごまかしながら育てていくことはできません。簡単なようで難しいことでありますが、まず、本人の立場にたって、言葉をかけることから関わりを始めるようにしてください。
五十嵐猛

6.社会性について(part1)(2002年5~8月)

 社会性とは、「我慢上手」になることでしょうか?
 こどもに、一方的に「我慢すること」を求めてばかりいると、萎縮して自主性は育ちにくくなります。また、ある線を超えた時に、人からの指示が全く通らなくなる恐れもあります。
その一方、親御さんばかりが「我慢」してしまうと、こどもの「我慢する気持ち」は育ちにくくなるようです。
では、一緒に我慢することはどうでしょうか?
こどもの立場になって考えてみてください。
例えば、こどもから「もっと続けたい!」という強い意志を感じます。そうですよね、その子にとって、大好きな事、手応えを感じられて面白いことですもんね。そこで、「くやしいけれど、我慢した」「本当は続けたいけれど、我慢した」というように、自分の気持ちを解ってくれる人と気持ちを共有しながら得ていく経験が、本人の心の中に宿り、「我慢」することは上手になっていくようです。
では、「何故、我慢をしなければならないのか?」、そのことにこどもは気づいているでしょうか? また、私たちはそれをどのように伝えていけば良いのでしょうか? -次号につづく-
五十嵐猛

社会性について(part2)

 「何故、我慢をしなければならないのか?」こどもにその意味を理解してもらうためには、自分独りで好き勝手に暮らしているのではなく、「自分にとって大切な事や、その暮らしは、周りの人が居るからこそ成り立っているのだ」ということをこどもに気づかせることが大切なように思います。「自分の暮らしや喜びは、周りの人が居るから成り立っているのだ」ということが解れば、人に迷惑をかけるような行為は自粛していこうと思うはずですよね。ですから、社会性とは、周りの人が自分にとってどれだけ大切なのか気づいていく、あるいは大切な人を増やしていくことのように思います。それが、結果として、我慢上手にも見えるだけのようです。
 しかし、その反対に、自分にとって迷惑な人であると思い込めば、その子は人を困らせる行為を増やすだろうと思います。
そこで、人との「やりとり」に質が問われてくるわけです。 -次号につづく-
五十嵐猛

社会性について(part3)

 今回は「やりとり」の質について、考えてみたいと思います。
まず、自分の事を理解してくれる人を迷惑だとは誰も思わないはずです。むしろ、自分にとって、結果的に喜びを導いてくれる人からの誘いであれば、多少無理なことでも応じる気持ちが働くはずです。
しかし、相手のためを思ってした行為が、残念ながら、その善意や想いまでは伝わらなかったり、逆に、人からしてもらう事、自分の出来ている事が当たり前のように思い込まれてしまったりする場合もあります。このように、相手からの働きかけに対して、好意や善意が意識されていないと、自分の要求を一方的に通そうとしたり、その要求が通らない時に癇癪を起こしたりしてしまうことが多々あるようです。
では、こどもに人からの働きかけに好意や善意があることを気づかせ、相手の意志や感情を意識したやりとりへと発展させていくためには、どのように関わることが大切となるのでしょうか?
それには、まず、自分の意志や感情を人に共感されたり、認められたりすることで、本人がそれを自覚することから始めなければなりません。そして、その上で、相手の意志や感情にも気付き、自分が対立した意志を持ちながらも、相手の意志に折り合いをつけていくといった、人に受け入れられた体験と同時に、本人が人を受け入れる体験を積み重ねていくことが重要となってきます。この、一方的ではなく、相互的な関係性を築くことが、社会性を身につけていく基盤となってくるのです。
何気ないことのようですが、人と関わることが上手な人は、このように相手の感情や意志の流れを読みとり、それを自分の感情や意志と折り合いをつけていくことが上手であることが多いようです。
-つづく-
五十嵐猛

社会性について(part4)

 「人と折り合いをつける」ということは、相手の感情や意志を読みとりながら自分と照らし合わせ、巧みに妥協案を提示、或いは受け入れていかなければならないことで、なかなか容易なことではありません。そこで援助者には障害の特性や発達の理解、経験などといった専門性が必要とされてくるわけです。
今回は、この専門性について考えてみましょう。
ここで、すぐに対処方法を求められる方が多いのですが、それはとても危険な場合もありますので、気をつけていただきたいと思います。なぜなら、まったく同じケースということはありえないからです。個々の発達年齢や興味、取り巻く環境、或いは関係要因などに違いがあり、同じ方法で関わっても、その状況やお子さんによって反応が全く違ってくる場合があります。
また、断片的な見方ではなく、将来に向けて見通しの持てる指導方針を立てることは勿論ですが、それとともに関わる側の姿勢や態度を検証することも重要です。
特に、幼児期のお子さんをお持ちの方は、今、自分のしている関わり方が、お子さんが大きくなってからも通用するものなのか、立場を変えてみた時に自分はどう思うのか、よく考えていただきたいと思います。
障害の特性や機能的な配慮、あるいは、行動の裏に潜む心理的な要因を分析しながら生活を支えていくことが専門家としての役割だと考えていますが、こういった事をふまえた上で、過去の事例を交えた助言を行いながら、親御さんや子どもに関わる方々と一緒に支援方法を探り、ライフステージの見通しをつけていくことが援助する者の姿勢としてとても重要だとも考えています。一人で悩まずに、ご相談ください。
五十嵐猛

5.3歩進んで2歩下がる(2002年4月)

 「自立心が強くなってきたのかな?」と安心していると、また赤ちゃんがえりをするように甘えてくる。「せっかく、少しお兄ちゃんになってきたのに・・・」と思って、少し突き放して距離を置くようにしてみる。けれども、こちらからの思いは通じず、どんどん溝ができていってしまう。「甘やかしてもいいのかな? けれど、ここで甘やかしてしまうと、このまま自分で何もしなくなっちゃうのではないかな?」と不安に思って悩む。試行錯誤を繰り返して、いろいろな人に相談してみた結果、やはり、もう一度受け止めてみる。すると、だんだんと本人が辛かったことや頑張っていた様子が見えてきて、愛おしく思えてくる。そして、気持ちを受け止められて安心したこどもは、再び親元から離れて自立に向けた準備を始める。
 甘やかすことと、気持ちを受け止めることは違うのですね。こどもは、決して楽な方にばかりすすむわけではありません。大人になるための準備を無理なく少しずつしながら育っていくのですね。
 一度、親元に帰った後は、自立心が倍になってグーンと前にすすみます。けれども、きっとまた戻ってくると思います。行ったり来たりしながらだけれども、確実に成長していきます。みんなで一緒に、もっとこどもを信頼しましょうね。
五十嵐猛

4.連携について(2002年3月)

 「今、うちの子は先生や他の子との関係も良くて、こんなことに興味が向いて伸びていっているから、このままの環境を継続していって欲しい」というご希望が親御さんにあると思います。しかし、残念なことに、新学年になるとすべてリセットされてしまうことが多々ありますよね。そこで、新しい環境になって、お互いがスムーズに理解しあえていければ良いのですが、理解が深まらない場合、お互いがつらい想いをつのらせていってしまいます。福祉界も教育界も「これまで、このパイプ役を保護者の方に委ねすぎていたのではないか」という反省があって、今、専門機関の中では、盛んに連携についての意見交換がされています。
 なごみ園では、これまでに、皆様の協力により利用児の担任の先生がなごみ園に見学に来てくださったり、こちらから学校での様子を見学させていただいて、お子さんの成長について意見交換などをさせていただく機会を6ケースほど設けさせていただきました。来年度も、これまで以上に、お子さんの一生を地域で支えていくパイプとしてもお役に立っていけることを目指しておりますので、どうぞ、ご遠慮なくお声をかけてください。よろしくお願いします。
五十嵐猛

3.人の目、僕の目(2002年2月)

 なごみでは、みんなが「人の目」や「僕の目」を意識しながら生活できる人に育って欲しいと考えています。
 人の目とは「社会性」。「こんなことをしたら、人がどう思うかな?」「嫌われるかな?喜ぶかな?」と人の気持ちを考える目です。
 そして、僕の目とは「おもいやり」です。「自分がされたら嬉しいなぁ、嫌だなぁ」と自分の気持ちを他人に置き換えて考える目です。 この気持ちは、自分の気持ちをハッキリと持っていなければ、育ちませんよね?
 ですから、「嫌」とか「やりたい」という自分の気持ちを人に表現して、それを理解してもらうことは非常に大事になことなのです。
 なごみ園では、自分の出番がなくなって泣いて訴えたT君、苦手な作業でも最後までやり通せたMちゃんやA君、そして、自分のおかわりの分を、一緒につくったお友達に半分分け与えたK君や、自分が先にやりたいのだけれども、何も言わずに小さい子に順番を譲ったH君、みんなとても良い目が育ってきているお友達ばかりです。
五十嵐猛

2.なごみはおこらん?(2002年1月)

 私たちは、お子さんが人に強制されたことにただ応じれば良いのではなく、「今、自分の求められていることには、どのような意味があるのか?」「自分はどうしたいのか?」「そのためには、何をしなければならないのか?」「人に何を伝えなければならないのか?」「自分は何を守るべきなのか?」という考えや想いを心の中でめぐらせながら整理し、主体的に人やその場のルールに応じたり、コミュニケーションをとろうと試みることで社会性を身につけていくことを大切に考えています。
 では、何故、そのことが大切なのでしょうか?
 それは、「自分で考えや想いを整理しながら、その場に応じて行動ができる」ということは、叱られたり、怒られたりしなくても、自律して生活場面に適応していけるようになるからであり、そして、さらに自分の想いを伝えようとする意思が生まれることで、人とのコミュニケーション意欲や学習意欲が高まるからです。
 とは分かっていても、日常生活の中では、なかなか理想通りにはいきません。ですから、なごみ園に通う中で気持ちをリフレッシュしながら、一緒にお子さんの自律心を育てていきましょう。
五十嵐猛

1.なごみ園の自由とは?(2001年12月)

なごみ園の自由遊びとは、「お子さんが自由に遊べる時間」として設けていますが、決して「自由気ままに自分勝手に遊ぶ」という意味ではありません。
なぜなら、なごみ園にある遊具や玩具は、みんなのものであり、公共の物を使うためには、必ずルールというものを守らなければなりません。たとえば、自分が使いたい遊具があっても、他のお友達が先に使っていたら、仲間に入れてもらうか、もしくは順番を待ったりするなどのルールに従わなくてはならないし、嫌な時には「いやだ!」と意思表示をしていかなければならない事もあります。もし、たとえ使えたとしても、その前に「なごみ園に来た」ことへの手続きをするために連絡帳にシールを貼ったり、遊んだ後に片付けをしなくてはいけないというルールにも応じてもらわなくてはなりません。このように、私たちは、お子さんが「なごみ園」で社会的なルールを学ぶ事をねらいとしながら、それをサポート、仲介していく役割を意識して一緒に遊びを創っています。
また、私たちは、よくお子さんに向けて「これは○○くんの物ではないよ、これはなごみ園の物だよ」「なごみ園の物は、みんなの物だよ」と伝えていきます
これには、ここでのルールを学んでもらう他に、お子さんに自他や仲間を意識して欲しいとの想いも込められています。
五十嵐猛