自閉症療育

めぶき園の自閉症療育

園長 五十嵐康郎

はじめに

花のイメージ

多くの自閉症セミナーでTEACCHプログラムが論じられ、ブームのようになっています。自閉症者は柔軟性に乏しく、分析的情報処理や聴覚刺激の処理が苦手で、感覚刺激入力の調整に異常があるが、視覚的刺激の処理に強みを示し、長期記憶は優れている。自然に身につく人間関係、文化的常識、言葉(コミュニケーション)が身につかない。

以上のような特長を生かして、「視覚的構造化」「ルーティンとワークシステム」「具体性を持たせる」「環境を整える」等の工夫により、スキルや適応力の向上を目指す。構造化することにより、状況を理解し、見通しが持ちやすくなることで、混乱や不安が減少し、安心して過ごせるようになる。構造化の方法として、空間的な構造化、時間の構造化、ワークシステム、ルーティン、視覚的構造化等がある。保護者や教師は自閉症の人が混乱しないで安心して暮らすための通訳、ガイドである。

以上がTEACCHプログラムの考え方だが、これまで学校や福祉施設等において、自閉症という障害に対しての理解が進まず、どのように教育、療育すればいいのかわからないということから、TEACCHプログラムの明快な理論が受け入れられています。

私自身の療育論の変遷を振り返ると、学生時代に一麦寮の田村一二先生(故人)との出会いがあり、当時の高度経済成長の時代においては、重い知的障害者や自閉症者は生産性がなく、無価値と考えられ、哀れみの対象と考えられていましたが、存在そのものに価値があり、彼らから学ぶことが多く、彼らこそが「世の光」であるという価値観の転換がありました。

 

同じ滋賀県の止揚学園の福井達雨先生との出会いから、私たちは援助者であると同時に差別者であり、「差別者として謝り続ける」さらに「差別と闘う」という思想を学びました。

滝乃川学園の創立者の石井亮一先生(故人)の著作との出会いから、「どのようにすばらしい理論であっても、愛がなければ無価値である」「療育理論は実践に照らして常に発展していくものであって、私の理論を金科玉条のごとく守るのは贔屓の引き倒しである」さらに石井亮一を通して、セガンの「生理学的教育」やモンテッソリーの「オートエデュケーション」にも学び、当時、「施設現場の実態は石井亮一の時代を一歩も超えていない」と思ったものです。

さらに社会党中央政策審議会の中大路氏との出会いからいち早く北欧の「ノーマライゼーション思想」を知り、渡欧してその先進的な実態を学びました。これまでがどちらかというと思想や社会制度という社会学的なアプローチが中心であったなかで、利用者と私とのかかわりはこれでいいのだろうかという、ある種の実践上の壁に突き当たっていたときにう石井哲夫先生の「受容的交流療法」に出会い大きな影響を受けました。

手のイメージ

当時の私の研修報告に受容的交流療法に関する記載の一部を紹介します。

「あくまで子どもの現状への深い理解と共感の上にたって、少しずつ課題を設定し、方向付けをしていくのである。いいかえればこうあるべきだという私たちの側の規範を性急に押しつけないのである」「変わることだけを目標にするのではなく、子どもの内面の発達に目を向け、一人の同等の価値を持つ人間として接し、子どもの福祉に反したり、抑圧的な方法で子どもを変えようとしないのである」

「現代における様々な問題を受容的交流というフィルターを通して見たとき、奇跡とも思えるように問題が氷解するのである。正に神の意思にも添う考え方であり、眼前の霞を取り払われたかのように感じた」

その時々に実践の中で確かめてきて、私なりの自閉症療育理論、すなわち現在の到達点があるのです。外国の実践や文献の紹介ではなく、主として国内で得られる知見をベースに、現場で自閉症者から学んだ自閉症療育論がある。実践的に有効であることを多くの方に知って戴きたい。クレイトン大学(アメリカ)のジョン・マックギーさんの「ジェントルティーチング」やネブラスカ大学(アメリカ)の精神科医メラスチーノ博士の「穏やかな治療」に関するレポートを見て、私の療育論に近いものが提唱されているというふうに思っています。