論文・講演

自閉症支援の原則と提言

全国自閉症者施設協議会 会長 五十嵐 康郎

私が半世紀自閉症の方たちと関わってきて自閉症の方たちから学んできたことを要約して自閉症支援の原則と提言と題してお話をさせていただこうと思っています。

まず自閉症支援の原則ですが、自閉症支援においては関係性の視点が非常に重要だと考えています。これにつきましては、若いころに石井哲夫先生から関係性の視点の重要性を学びました。それまではどちらかというと、私は訓練・指導、操作的な手法で関わっていました。そういう中において、実は自閉症の人たちの行動というものは、環境や支援者の支援のありよう、態度と非常に密接な関係があると考えるようになりました。従いまして、関係性の視点がまさに自閉症療育の鍵だと考えています。

今回は基本的な事しか申し上げられませんが、療育において安心感と信頼関係が非常に重要ではないかと思っています。まず、安心感がなければ、療育や教育は成立しないわけです。そして、信頼関係があってはじめて、利用者の方に何かを伝えたり、教えることができるわけです。

そして更に、私の若いころは行動療法の最盛期といいましょうか、行動療法ですべての課題が解決すると言われた時代でした。そして動作法、構造化、あるいは感覚統合、ジェントルティーチング等々、様々な療育理論や方法論がありますが、私はこれまで自閉症の方たちと関わってきた中で、それぞれの療育技法や方法論は、価値のあるものだと、一定の有効性があると考えています。

しかしながら、どれかの療法をもって、オールマイティーということはないと考えています。安心感と信頼関係が自閉症療育の基盤でありますし、特定の理論や方法論に捉われることは療育上非常にマイナスだと考えています。私は自閉症療育や支援は実験室や設定された場面のみで行われるものではなく、日常の生活場面の中で利用者の個性や性格、能力、年齢、場面、そして支援者の力量や年齢、利用者と支援者の関係性、その他諸々の条件に応じて関係性の視点に立って支援者としての経験と知識を生かしながら、全知全能を傾けて即興的に、心理劇における最良の補助自我としての役割を演じていくというのが、自閉症療育の真髄だと考えています。

日本においては、スーパービジョンやチームワークがないがしろにされています。教育の世界、福祉の世界等、ほとんどスーパービジョンが存在していません。例えば今までショートステイ等でお受けした方が強度行動障害になった原因は、本人に何の断りもなく支援者の方針が一夜にして180度変わり、そのことによって利用者の方が混乱したケースがあります。

スーパービジョンとチームワークの欠如が、虐待、更には二次障害を生んでいると私は考えています。そもそも、スーパービジョンの重要性やスーパーバイザーを養成することへの認識が欠けている、不十分だと考えています。スーパービジョンを得て事例検討を重ねていく中で、支援者の力量がついていくと考えています。

私は自閉症療育のコペルニクス的転回ということを常々申し上げています。利用者の方の課題や問題行動のみを取り上げる視点からは、障害の重さが限界になってしまうわけですが、実は行動障害を改善し、利用者の方たちの発達を保障するのは支援者の課題であって、支援者の気持ちや態度、関わり方を検証することで無限の可能性が開ける。利用者の課題にしてしまえば、そこでもう可能性は閉じられてしまうわけですが、例えば私、そして皆様方、おそらく支援者として十全ではないと思います。やはりそれぞれに未熟さを持っているわけです。学ぶことはたくさんあるわけで、支援者として成長することによって、行動障害が改善し、利用者の発達を保障することができると考えています。

医療の世界では、医師の無知や力量不足によって、治療に失敗して患者さんが亡くなったら過失を問われ、裁判沙汰になって医師免許を剥奪されかねないわけです。そこまで医療の世界は厳しい世界になっているわけですが、どうでしょうか。私たちの世界は自分たちの力量を棚に上げて利用者の障害のせいにしてしまっていることが多いのではないでしょうか。以前は行動療法を中心に訓練・指導と称されるものをやっていました。私も腕立て伏せ100回とか、腹筋100回とか、かなりスパルタ的な訓練もしました。そして何人かを就職させた経験も持っています。

そういう一方的に支援者が設定した目標に向けて彼らを訓練・指導していくというのが一つの立場です。そしてもう一つは、本人の人生や生きがいを大切にして、本人の気持ちや意志を尊重しながら、自己実現を目指す立場です。後者が今の私たちの立場ですが、体験上、どちらの考え方でも利用者の方が、この社会に一定程度適応して暮らしていくことは可能だと思っています。しかし、本人にとっては大きな違いではないでしょうか、もし自分がその立場だったら、やはり私の人間性・主体性、自己実現を大切に見守って支援して欲しいというのが心情ではないかと思います。

そういう中で自閉症療育の支援の原則として、まず一つ目は環境整備、これは40数年前に知的障害児施設の重度棟で、行動障害の激しい、重い知的障害を伴う自閉症の子どもたちへの支援として最初に取り組んだのが環境整備でした。環境整備は、専門性がなくてもすぐに取り組めるのですが、案外なおざりにされがちな課題です。

二つ目は、当たり前の生活です。40年余り前の日本ではノーマライゼーションは一般的な考え方ではありませんでしたが、ごく当たり前の生活を実現していこうということで、小規模の生活、あるいは瀬戸物の食器を使うとか、あるいは地域の小中学校への就学や買い物等で地域に出ていけるようにするというような取り組みをしました。

三つ目は安心感と信頼関係、これが大変重要です。このことは絶対に外せないわけです。

四つ目は手ごたえのある暮らし、よく私たちの仲間の施設でも、特に重度の知的障害や行動障害のある方は、デイルーム等で、1日を無為に過ごしている。在宅でもそういう経緯がありました。そんな中で行動障害を惹起するというようなことがあるわけでして、彼らなりに手ごたえのある暮らし、これは私たちにとっても同じです。彼らにとって生きがいとなる活動や生活をきちんと保障していくことが大変重要だと思っています。

五つ目は先ほど申し上げましたスーパービジョンとチームワーク、これによって支援の統一と共有を図る、このことも非常に重要です。Aという職員とBという職員が全く別な方針で関われば、これは混乱して当たり前なのです。知的障害児施設にいた経験から知的障害の方はある程度順応することができると思いますが、自閉症の方はそこが最も苦手なところですので、支援者が理念、方法論、価値観というものを統一して対応することが非常に重要だと考えています。

六つ目に、先ほど申し上げましたように、毛嫌いしたり、この療育理論が最高、最善のものだと考えるのではなく、様々な療育理論や技法に学ぶべきだろうと考えています。そして今、医療、脳科学が非常な進歩を遂げています。これまで分からなかったことが、次々と解明されています。そういうことからも学ばなければならない。当然行動障害については薬物療法も活用すべきだし、ミラーニューロンや最新の脳科学の発見等の成果も十分活用していくべきだと考えています。

次に支援者へのメッセージですが、行動障害は本人だけではなく、関係者の課題だということです。これは既に申し上げた通りですが、例えば行動障害が激しいとき、もう投げ出したい、この人がいなければどんなに楽だろうと思うこともあると思うのですが、必ず道は開けると信じて、投げ出さずに逃げないで、愛情を持って向き合うことが大事だろうと、そしていつか他人に引き継ぐ日が来ることを意識すべきだと、特にこれは学校の先生方が、自分の考え方だけで指導して、担任が変わると全く違う考え方で指導する。そのことが原因で崩れるというケースがあります。あるいは幼児・早期療育もそうです。私たちは利用者の方と生涯関われるわけではありません。別の機関や次の世代に引き継ぐことを意識して関わるべきだろうと思います。

それから、個々の利用者の現状からスタートすることだと思います。支援者側で勝手に課題を立てて、そこに向けて利用者の方を訓練・指導するのではなく、個々の利用者の現状から、これは本当に私自身そのことを痛感した出来事がありました。知的障害児施設にいた頃に学習を担当していたのですが、例えば「あ」と書いて読み方を教えて、次をやって、もう一度戻ってこれは「何と読むのかな」と聞いたら「わかんない」というのです。1+1とか2+3とかの簡単な計算も同じで大変苦労しました。その彼が卒園後に再会した時には働いて、毎日日記を書いて、お母さんの生活を支えていたのです。やはりその人その人の現状を無視して教育・訓練をしても、成果が上がらないと思いました。

そして人との信頼関係、折り合いをつける力を育てることが、自閉症療育において重要だと、つまりどんなに障害が重くても、私は人との折り合いをつける力は育つと確信しています。そのことが非常に重要だということです。つまり、障害がなくても他者との信頼関係や折り合いをつける力が育っていなければ、平気で人を傷つけたり、人の物を取ったりするわけで、その人は不幸な人生を送らざるを得ないわけです。

先日、NHKで「君が僕に教えてくれたこと」というテーマで放送がありました。ご覧になられた方もたくさんいるのではないかと思います。それをきっかけに私は東田直樹さんの本を大体全部読ませていただきました。その本の中に、自閉症支援や療育の真髄に関わる、もちろんこの方が自閉症すべてを代表するわけではありませんが、ここには自閉症療育のみならず、人がより良く生きていく上において、非常に貴重なエッセンスがあります。「人に迷惑をかけるこだわりは何とかしてやめさせてください」と彼はそう言っているのです。「我慢することは苦しくて大変ですが、その時に必要なのは周りにいる人の忍耐強い指導と愛情でしょう」さらに「僕たちの気持ちに共感しながら止めてほしいのです」これはこれまでめぶき園で行動障害がある方たちに関わってきた考え方と共通するものです。東田さんの本を読んで、私は共感し、そして多くの点についてめぶき園で取り組んできたことは間違っていなかったという確信を持ちました。

「自分のすべてを受け止めてもらえる体験をすることが、大切だと思うのです。受け止めてくれる人が一人いれば、自分を見失わずに生きていけるのではないでしょうか」東田さんは、一人でも本当に自分を理解し、愛してくれる人がいれば、自信を持って生きられると言っているのです。やはり支援者たるものそういう思いを持って彼らと関わるべきではないでしょうか。そして「もし自閉症が治る薬が開発されたとしても、僕はこのままの自分を選ぶかもしれません。障害のあるなしに関わらず、努力の結果幸せになることがわかったからです」とも書いています。最高の自己肯定感です。これは深い愛情を持って育てられたお母さんの力が非常に大きいと思います。障害は違いますが、乙武さんのお母さんも非常に深い愛情をもって乙武さんを育てました。乙武さんが生まれた時にドクターは重い障害のある赤ちゃんをお母さんに合わせることでお母さんが大きなショックを受けるのではないかと躊躇するわけです。何日か過ぎて合わせざるを得ないので、お母さんに対面させました。その時のお母さんの第一声が「まあ、可愛い」と言って抱きあげたのです。まさに感動です。

私は、これだと思います。こういう愛情こそが最も重要であり、自閉症の方一人ひとりに私たちが関わっていくときの重要な視点ではないかと思います。沢山あって本当はすべてを紹介したいところなのですが、時間の関係もありますので、一部だけ紹介させていただくのですが、「大好きだと伝えてください、大切なのは一人でもいいので、どれくらい深く愛されたかだと思います」これは先ほどのこととも共通するのですが、要するに、大好きだよと、そういう風に伝えてほしい、そのことがポジティブに生きていく上において非常に大きな力になるということです。

「療育で傷つく子どももいます。親や先生にとってやってみた療育が、その子に合わないと判断するのは、勇気がいることですが、本人に合った療育かどうかを見極めることは重要です。そこが支援者の力量だと思うのです」いかがですか皆さん、これを中学・高校生ぐらいの年代の自閉症の青年が書いたのです。素晴らしいと思いました。感動しました。そして「専門職も迷いながら対応していることを知りました。全ての対応がマニュアル化されたなら、僕は人生に失望するでしょう」感動して、涙があふれました。まだ他にも宝石のような価値のある言葉があります。読まれた方は分かっていらっしゃると思いますし、読まれていない方は是非お読みになる事をお勧めします。

私の恩師の石井哲夫先生は、平成26年6月に亡くなられましたが、先生の著書の中で「治療教育150年の歴史の中で共通してその根本に言われていることは、子どもがその気にならなければ変わらない、子ども自身の気持ちが変わらなければ発達はないのだということである」と書いておられます。これが療育や保育、教育の真理だと思います。どうしても操作的な手法を取ることが多いわけですが、やはり彼ら自身の自我に関わる支援というものが、非常に問われているのだろうと思います。結論として「自閉症療育は、人として敬意と愛情を持って接すること」だと、私はそのように考えています。

次に自閉症支援をより良きものとするために幾つかの提言をさせていただきます。まずは障害福祉法制度の見直し、知的障害者福祉法は、昭和35年に精神薄弱者福祉法としてスタートし、その後精神薄弱という言葉が問題だということで知的障害者福祉法に改められたわけですが、当時は発達障害についての理解や認識がほとんどなかったわけです。国際的には発達障害の中に精神遅滞も含まれているわけですから、私は時代の変遷とともに精神薄弱者福祉法が知的障害者福祉法に改正されたように、発達障害者福祉法というように法律の内容も含めて改正するべきでないかと考えています。

更に療育手帳ですが、一部の都道府県では発達障害も対象に含めていますが、原則的には知的障害の手帳ということで、全国共通の基準がありません。身体障害者手帳・精神障害者福祉手帳は法律に記載されていますが、療育手帳は厚生労働省の通知に基づいているために名称や対象が自治体間でまちまちになっています。現在、発達障害は精神障害者福祉手帳の対象となっているわけですが、発達障害が胎生期、ないしは出生期等の早期からの障害であることを考えれば、当然これは精神障害ではなく、療育手帳と一本化してその中に含めるべきではないか、制度の改正と併せてどこかで英断が必要ではないかと考えています。

それから大分県発達障がい者支援センター連絡協議会を実施主体に、発達障がい者支援センター「イコール」に事務局を置いて、平成18年から発達障がい者支援専門員養成研修を実施してきました。既に140名を超える支援専門員が誕生しています。福祉関係は勿論ですが、教員の方、保育所・幼稚園、医療機関の方、最近は大学の先生、行政マンや労働関係の方も受講しています。そういう多業種の方たちが座学のみでなく、実務研修も含めた3年間に及ぶ長期の研修を受けて、支援専門員という資格を取って、支援専門員の会を立ち上げて、生涯研修と連携を目的として、研修会や相談会、あるいは様々な発達障害・自閉症に関わる事業に協力し、スーパーバイザーとして活動しています。

これを国の制度として、全国の発達障害者支援センターを事務局に実施すれば、発達障害の理解と支援が飛躍的に向上すると思います。今連携が叫ばれていますが、言葉だけが先走りしても実現できないわけです。実際にこういう地道な積み重ねによって、大分県では色々な関係機関の連携体制、あるいは自立支援協議会や個別支援会議で、支援専門員が顔を合わせることで引き継ぎや支援が深まるということが現実に起きているわけです。これをぜひ国の事業として位置付けていただきたいと思います。

更に、強度行動障害、あるいは触法の方たちへの支援がこれからの大きな課題であろうと考えています。これに関しましては、私たちの法人だけで20名を超える行動障害の激しい待機者の方がいます。その方たちを地域で生活できるように支援していこうということで、専門の棟を建てて、重度包括支援等を使って濃密な支援をして3年以内ぐらいの期間内に在宅、ケアホームあるいは施設等の通常の福祉制度の中で安定して暮らしていけるように取り組んでいきたいと考えています。

事業者数やサービス量は大幅に増えています。人口4万人ほどの豊後大野市においてもNPOや有限会社などが参入し、極端な事を言うとそう難しくない人については奪い合いのような、そんな状況すらおきています。ですがそういった中で行動障害や触法などのリスクの高い方たちというのは、置き去りにされているのです。ここにきちんと対応していけるような制度なりビジョンが必要だろうと考えています。

最後になりますが、今こそ社会福祉法人の使命を果たす時だと、先般、各入所施設に平均3億円の剰余金があるという厚生労働省の報告がありました。社会福祉法人にも課税すべきではないかという意見も出ています。自立支援法は散々に不人気な政策だったわけですが、その後の8年で障害福祉予算は倍増したのです。障害福祉サービス事業者も倍増、あるいはそれ以上に増えました。ですが先ほど申し上げたように、真にサービスを必要としている人たちのところに必要なサービスが十分に届いていないのです。

誰のための障害福祉サービスかと、手のあまりかからない人を奪い合うのが本当の障害福祉サービスかと私は思うわけです。そしてこれは多くの社会福祉法人が利用者の福祉向上や、困難な課題にチャレンジするとか、職員の処遇改善等に充分取り組んでこなかったことが原因ではないかと考えています。3K職場と言われる福祉施設でなぜ3億円もお金が剰余金として残るのか、こんな不思議なことはない。そういう意味で、私たちは積極的に社会的ニーズに応じる使命があると考えています。非課税法人として優遇されているわけですから、剰余金を積み増していくのであれば社会福祉法人の公共性・公益性から見て、果たすべき社会的役割を放棄していると言わざるを得ないと思います。

ご清聴ありがとうございました。以上を持ちまして終わらせていただきます。

(第28回全国自閉症者施設協議会熊本大会リレートークを一部修正、加筆したものです)
参考文献
東田直樹 (2007) 『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』 株式会社エスコアール