なごみだより

2010年12月

2010年12月3日の発達障害者支援法の成立以降、あらゆる関係諸機関、もしくは関係者のご尽力により、大分県の中でも発達障がいに関する理解や支援の体制をすすめてきたところでありますが、6年後の2010年12月3日の参議院本会議にて、障害者自立支援法の改正法案が成立し、わが国の障害福祉サービス体系に発達障害が正式に位置づけられることになりました。これにより、「発達障害」は、障害者の中でめでたく市民権を得られ、市町村レベルにおける合理的配慮の推進やサービスの格差是正に向けて、法的な根拠を得られたことにもなります。

このように、発達障害の支援はスタートしたばかりでありますが、理解を深めれば、深めるほど、教育、医療、保健、福祉、労働といった、あらゆる場面での理解や支援が求められてくるとともに、科学や芸術、文化の中で発展を遂げる可能性も含めて、今後、ますます障害者支援や才能支援の中心になっていくことが予想されます。そのため、お互いが困りを募らせていくのではなく、理解を深め、支えあうことができる社会を目指し、発達障害をもとにした支援ネットワークを広げていくことで、地域の活性化、そして県民全体の豊かな暮らしを実現する一如となれるよう、我々も努力してまいりますので、引き続きご支援いただきますよう、心よりお願い申し上げます。

なごみ園 園長 五十嵐猛

補助自我支援(2) (2010年11月)

(…前回より続き)

こうした支援を受け続けてきたことで、友達が多いとなごみ園の部屋に入りにくくなってしまっていたT君が、時間をかけながら近づいていって、最終的には自分から入れるようになって「ぼく、入れたでしょう」と支援者に威張ってみせたり、Mちゃんが、「いや」とか「お願い」のサインを上手に可愛らしく伝えることができるようになってくれました。

補助自我支援をすすめていく際には、本人との距離感や、気持ちを把握することが重要となりますので、支援者の動きや、本人の気持ちの読み取りなどについて意見交換を行っていくことがとても大切になります。そして、この意見交換で得た情報を支援者の多くが共有することが望ましいため、他機関で開催される個別支援会議などの折にもお伝えするように努めており、学校の先生や保護者のみなさんとも、なるべく意見交換をさせていただきたいと考えています。「あの場面では、参加する意味を見出せなかったのではないだろうか」等、こどもの気持ちを探りながら支援内容を工夫していき、一緒に子どもの成長を楽しませていただくことが、私たちの「やりがい」になっています。

なごみ園 園長 五十嵐猛

補助自我支援(1) (2010年10月)

この補助自我とは、心理療法であるサイコドラマの手法を現場に応用して行う支援技法であり、なごみ園では、職員がお子さん達と関わる際にとても大切にしているものです。(最近では、似た技法として、「コーチング」が注目を受けています。)

支援者が本人の抱えている心理的なストレスや気持ちの流れを代弁したり、本人に成り代わって周囲に働きかけていくような役割を演じていくため、本人が支援者に対して「自分の気持ちをわかってもらえている」とか「味方になってもらえている」といった実感が得られやすくなり、信頼関係をつくりやすくします。更には、支援者の行為を手本としながらコミュニケーションスキルを学習する機会にもなるため、なごみ園のような集団場面では特に重宝されています。

例えば、集団場面の中で自分に与えられた状況や役割などに不満がある場合、周囲に交渉して変えていくスキルが求められますが、そうした時に、補助自我となる支援者は、本人と対立的な立場をとるのではなく、本人の分身として存在していることを意識しつつ、本人に成り代わって周囲に対して拒絶や交渉を行っていくようにしていきます。その際に、立ち位置や座る位置等も、本人と向かい合わせになる形ではなく、なるべく横並びの形になるような細かい配慮等もするように心がけています。

≪つづく…≫

なごみ園 園長 五十嵐猛

きょうだいの会(2010年9月)

きょうだいは、本人のことをとてもよく理解しており、いろいろな場面で周りから頼りにされてしまいがちでありますが、彼らが本当に望んでいることは、本人が困っている時に自分が手伝いに行かなくても、他の誰かが手伝ってくれることです。そして、いつもそのことを期待しています。そのため、本人が困ったときには、周囲よりも自分の方が先に気付いたとしても、ここぞ、という時まで様子を見守りながら、最終的に助けに行くように心がけたりしています。いけないと考えているけれども、周囲とのバランスを取ろうとするあまり、本人を突き放すような言動をとってしまう時だってあります。けれども、心配なさらないでください。きょうだいは絶対に裏切ることはありません。むしろ、それくらい「自分のことだけでなく、本人や家族のことをいつも考えてくれているんだね、ありがとう」と受け止めるように心がけていただけると幸いです。なぜなら、彼らはそんな言葉にいつも救われているからです。「わかってもらえている」と安心できるからです。なごみ園のきょうだいの会は、そんな彼らが、自分以外にも同じ思いを持つ仲間を知り、自分を素直に見つめ直してみたり、生涯にわたって悩みを分かち合っていける場になれたらいいな、と思って続けています。来年も、再来年も継続していけるよう、ご支援ください。よろしくお願いします。

なごみ園 園長 五十嵐猛

研修生へのお願い(2010年8月)

夏休み中、なごみ園では、お子さんたちの理解者を増やしていくために、いろいろな機関の専門家や、実習生を受けいれています。利用されているお子さんの中には、いつもと違った人や環境に戸惑われる方もいらっしゃると思いますが、疑問や困りが生じたときには、遠慮なく、スタッフにお伝えくださいね。

実習を受けられているみなさんも、なごみ園を利用しているお子さんたちにとって、人間関係を育むうえでとても貴重となる発達段階に関わることを許され、学ぶ機会を得られたことに感謝するとともに、一緒に楽しく過ごした経験をご自分の職場や勉強に生かせるように努めてください。そして、何よりも、もしも、なごみ園の子どもたちが街で困っていたりする場面を見かけたら、必ずこども達の味方になって助けてくださいね。それが私たちの一番の願いです。

なごみ園 園長 五十嵐猛

夏季休暇利用のすすめ(2010年7月)

なごみ園の利用は、必ずしも障がいが確定していなくとも、発語が少し遅いなどの不安や子育ての悩みなどを理由にご利用いただくことができます。私たちスタッフも、みなさんの大切なお子さんが地域の幼稚園や保育園でスムースに生活できることを願い、なごみ園の小集団の中で丁寧に「発達の基盤づくり」に協力させていただいています。また、お子さんが幼稚園になじみ、なごみ園を利用する機会がなくなった場合でも、夏休みや冬休みなどの折には、新学期に向けてお子さんの生活や発達のリズムを継承していく「つなぎ役」としてなごみ園をご利用いただけることをお誘いします。

もうすぐ始まる長くて暑い夏休み、なごみ園のスタッフとプールはフル回転します。若くて元気な学生ボランティアや実習生もたくさん来てくれます。まぶしいお日さまに負けず、みんなで一緒にお子さんの笑顔と思い出づくりに励みましょう。

なごみ園 園長 五十嵐猛

発達支援登録証について(2010年6月)

平成22年6月1日より、大分県発達障がい者支援センターにて発達支援登録証を発行することになりました。この登録証は、平成22年5月27日の大分県発達障がい者支援センター連絡協議会において発行の承認を受けたもので、発達障がい児・者の(1)基本的な特性や個々の特性に対する配慮について関係機関が情報を共有することと、(2)発達障がい児者及びその家族に対して日常的に必要な福祉サービスの利用や、支援情報の提供などに地域格差を生まないことを目的に、大分県内の発達障がい児者が安心して暮らすための合理的配慮の推進していくものです。

交付に際しては、(1)大分県内に住所を有する希望者に対して、(2)医師による診断書、もしくは心理判定検査結果証明書にもとづいて大分県発達障がい者支援センターが審査・発行していますので、詳しくは、イコールのホームページ、もしくは相談員にお尋ねください。

なごみ園 園長 五十嵐猛

絵画展(2010年5月)

4月19日~5月23日まで、大分市内のコンパルホール近く「珈琲を愉しむ店 ばんぢろ」というお店でめぶき園の利用者が作成した絵画の展覧会が開催されています。めぶき園の利用者の作品は、独創性があって素晴らしいものが数多くあり、これまでにも発達障がい者支援センターのシンボルマークとして使わせていただいている「2頭の象」や、自閉症支援マニュアルの表紙に使わせていただいた「家族」などの作品を紹介させていただきました。イコールに来所される方の中にも、美術大を卒業された方がいて、「どんこの里いぬかい」の壁に作品を展示させていただいたり、ポストカードにして販売をしたりもしています。

さて、なごみ園ですが、こちらも負けず劣らず画才のあるこどもが多く在籍しており、「らすかる」のシンボルマークを描いてくれたD君や、高山辰雄賞を連続して受賞したMちゃん、西日本大会まで選考されたK君、今年度、日本パラアート展に出展が決まったY君やT君がいます。作風は、みんな独創的で色使いが明るくてキレイであり、施設の名の通り、気持ちがなごませてくれるものばかりです。自信をもって彼らをアピールできるチャンスですので、「どんこの里いぬかい」での展示は勿論のこと、ポストカードやエコバッグなどの商品にも変えて、地域の方々に彼らの才能をどんどん紹介していきたいと考えています。みなさんの方にも、良いアイデアやあたためている作品がありましたら、是非、お知らせください。

なごみ園 園長 五十嵐猛

どんこの里にかける想い(2010年4月)

人に喜ばれる、感謝を受けられるということは、誰にとっても一番の生きがいにつながります。そして、それは「働く」ことを通して得られるものが大きいと思われます。そこで、私たちは、障がいのある人が自分の住む地域に貢献できる場を作ることを目指し、「就労支援施設 どんこの里」を設立しました。豊後大野市の入り口である「里の駅いぬかい」として、今後の活躍をご期待ください。

なごみ園 園長 五十嵐猛

「発達支援ファイル」のすすめ(2010年3月)

大分県の委託事業により「発達支援ファイル」を完成することができました。この「発達支援ファイル」は、保護者や本人(大人になってからも)が自分自身を説明するための「(1)代弁機能」と、学校等が支援計画を作成する際に、他の支援機関の情報を得る「(2)機関連携ツール」としての役割を果たすものです。

そして、このファイルの目玉は、本人の支援ニーズを明らかにする「チェックシート」を加えたところです。なぜならば、このチェック項目に沿って記載をすすめていくだけで、本人への理解や支援を整理していくことができるような仕組みになっているからです。

是非、なごみ園のスタッフや学校の先生方と一緒に、この支援ファイルを活用してください。

なごみ園 園長 五十嵐猛

障がいの少ない街づくりを目指して(2010年2月)

国連で採択された「障がい者の権利条約」への批准に向けて、日本でも障がいに対する価値観が変容しつつあります。なぜなら、この権利条約の中には「障がい」を個々の機能や特性の問題として捉えるのではなく個の個性と周囲の環境との相互作用によって生じる「いきにくさ」として捉え、※合理的配慮がなされることで誰にとっても暮らしやすい地域社会の実現が目指されているからです。つまり、個々の機能や特性を改善していくことで「いきやすさ」に結び付けようとするのではなく、個々の機能や特性に応じて周囲の環境を整えることによって本人の「いきやすさ」を追求するという視点で支援を展開していく方向へと価値観が転回され始めているわけです。こうして捉えると、これまでの「障がい者」という定義には矛盾が生じてしまいます。なぜなら、障がいは個々に向けられるのではなく、環境となる周囲に向けられるべきであり、次のように整理し直すことができるからです。『合理的配慮のない地域は「障がいの多い地域」であり、合理的配慮が整っている地域は「障がいの少ない地域」である』。これは、施設や学校においても同様にあてはめることができます。例えば、「A学校は、B学校に比べて障がいが多い」といったように、今まで個に向けられてきた障がいの判定というものが、逆に学校や施設に向けて行われるようになっていくことが考えられるわけです。実は、この法則は長い年月、立証され続けてきてもいます。なぜなら、学校や施設内での人員配置や、専門性などといった環境によってこどもたちの状態も左右され続けているからです。しかし、その法則に気づかず、個の障がい程度ばかりに目を向けていると「いきやすさ」どころか、お互いの「いきにくさ」をつのらせてしまうことばかりになってしまいます。己や周囲の理解や配慮を変え、その場の合意的配慮が深まっていくことによって、個々の抱える「いきにくさ」はお互いの「いきやすさ」へと変容を遂げていくことができていくものなのです。このパラダイムこそが、年々増加傾向にある「いきにくさ」を抱えた人を減少させていく法則に他ありません。先哲である糸賀一雄先生の残した「この子らを世の光」とは、この子らが世の計りであって、戦後の貧しい状態から本当の豊かさを求めていくために、社会が彼らをもう一度見つめ直す必要があることを訴えていたように思われます。なぜなら、彼らが生きやすい世界(国、地域)を築くということは、当然、誰もが生きやすい世界(国、地域)を築くことに比例していくからです。

こうした価値観が人々に理解され、障がいの程度を個から環境に向けられた基準が求められ、整理・実施されていくまでにどれだけの時間を要するかは定かではありませんが、この流れが止まることは間違いなくないと思われます。なぜなら、この法則を無視したまま、本当に豊かな社会を築いていくことは不可能であるからです。誰もが安心して住みやすい、障がいの軽い地域づくりを実現するがめに、私たちは彼らが指し示す道を読み取り、惜しみなく伝えていく役割が求められていることを感じています。

※合理的配慮(障害者の権利条約第2条)…特定の場合において必要とされる、障害者に対して他の者との平等を基礎としてすべての人権および基本的人権を享有しまたは行使することを確保するための必要かつ適当な変更および調整であって、不釣合いなまたは過度な負担を課さないものをいう。

なごみ園 園長 五十嵐猛

受容的交流理論(2010年1月)

「常識」とは、社会的交流の中で感じ取れていくものである。つまり、実際に人と関わっていく中で相手に対する「敬意」などといった感情を持つからこそ、「ルール」や「礼儀」などの行動も備わっていくはずであるのだが、利便性を追求してきた今の社会は、人との交流を実感できにくい環境へと進み過ぎてしまい、それが、人々のモラルを習得させにくくしているのではないだろうかと考えられる。その一例が、今では当たり前になったメールのやりとりである。

以前は電話で生の声を通して話をしたり、実際に会って、相手の表情をみながら会話をしたりしていたからこそ、情緒的なやりとりにも発展していきやすかったように思われる。つまり、ダイレクトに人と関わることではじめて、人は人の「行為」や「想い」を正しく理解していくことができていくはずであるのだが、社会的な分業が進み、人の行為が重層的に構造化されていく中で、人は人の「想い」に対してだんだんと鈍感にならざる得なくなっており、私にはそれが、社会の中で「思いやり」が育ちにくくなっている原因につながっているかのように思えてならない。

しかし、日本の自閉症療育の中で最も歴史のある「受容的交流理論」は、「人との共感性が育ちにくい特性を持つ自閉症」に対して、一貫してこの「共感的な交流体験」を「療育」として主張し、実践し続けてきている。実際に、この理論のもとで育った自閉症者は、人の「想い」を受け止め、「思いやり」を表わすことができるようになっている事実を、今、我々は真摯に受け止め、子育てや保育、教育に生かしていかなければならない時なのではないだろうか。

なごみ園 園長 五十嵐猛